20代のシンガポール暮らし
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シンガポールで中国人、マレーシア人、インド人の採用面接を担当してみた日本人のわたしが感じたこと

わたしは小学生の時期をアメリカで過ごしました。

英語もできない日本人の小僧がアメリカという大国で、多種多様な人種や宗教に囲まれながら生きる事に必死にもがいたのを今でも鮮明に覚えています。

もがき続けた小僧にはひとつ分かったことがあったんです。

「人は他人に偏見を持つ」ということ。

それは主に、その人の肌の色や育った場所、扱う言語や食べる物を通して「他者」を自分の頭で残酷に区分することでした。

「この人は好き」

「この人は嫌い」

そんな自分勝手の線引きがわたしのなかで日々悠々と行われていました。

見事に「嫌い」カテゴリーに入れられた人は残念賞だったんだ。わたしが好む肌の色をしておらず、どこか遠くの国で育ち、聞いたこともない言語を話し、朝ごはんにピザを食べる。なんなんだこの理解できない人間は。普通、朝食は米だろ。

この「普通」が全ての原因でした。小僧は自分の当たり前が当たり前ではないことに気付くのに少々時間がかかってしまった。誰もそんなこと日本で教えてくれなかったから。

そんな何かが洗い流される感覚を覚えてから、小僧は学校でたくさんの友達をつくりました。それは本当に多種多様でカラフルな光景で、洗脳されていた思想の大規模工事が行われていたのです。

「あ、やっぱりこの人好きかも」

見事に残念賞を引き当てた人に対してふと抱いた感情。話してみると優しい言葉をかけてくれたり、一緒に宿題を解いてくれたり、英語も話せないアジア人のわたしに毎朝ニコッとあいさつしてくれたり。

思ってたより朝にピザって結構いけるじゃん!

人と交流して、コミュニケーションをして、意思疎通をして、初めてその人間の面白みが分かると感じるようになりました。

今まで人間の表面上のみの情報を頭にインプットして、稚拙にもマイナスのイメージを勝手に連想させ、交流する以前からシャットアウトしていた。胸張って何が嫌いかと言うには、まだわたしは何も知らなすぎた。

「これが偏見なんだ。もったいない」

小僧はそんなことを思うようになってから、偏見を持たずに人と接することができるようになりました。

そんなタイミングで学校の授業で本を読んでいるときにこんな英文がありました。“Don’t judge a book by its cover.”このことわざの意味は「人を見た目で判断するな」という意味です。

アメリカではどの学校も同様の教えをしていると思いますが、多種多様な人間が同じ土地で共生している大国にとってはとても深い言葉だと思います。

今でもわたしのなかで大切な言葉です。

見た目で判断することはあまり意味が無いことだとわたしは確信しています。国籍、年齢、語学、などある部分では判断材料にはなると思いますが、人間の本質や情熱、創造力やユーモア、それらを実際の会話の中で感じた上で、初めて他者を判断するべきだと感じています。

おそらく記事のタイトルだけ読んだら、中国人は、マレーシア人は、インド人は、「◯◯だから、◯◯だろうな」など思ったかもしれません。それも一種の偏見です。

つまりは、中国人だから、マレーシア人だから、インド人だから、どうこういうよりも会話の中で垣間見れるその人が持つ魅力を感じて、受け止めてあげることが何よりも採用面接で重要なのではないかと感じました。

ただ、残念ながらそうも言ってられないのが現実社会。面接を一緒に担当したベテラン人事マネージャーから人間誰しもが持つ特有の残酷的な部分を学びつつ候補者選びをしたいと思います。

こうやってまたわたしの思想は染められていく。何にも染まらない、無色のままで人と接することができたあの頃ををできる限り忘れないように生きていきたい。

人種の違いで発生する嫌悪感。それは単に相手のことを知らないだけ。同じ日本人なのに肌の色が黄色じゃないだけで「あなたは日本人じゃない」なんて思わないで。そんな無垢無色な日本人がこの先増えますように。

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